初対面で聞かれやすい「趣味はありますか?」という質問に、私はずっと「ありません」と答えていました。以前友人から「長く続いている事があるなら趣味と言えるよ」と言われ、子どもの頃からファンだったアーティストが想い浮かびました。

 遡ること40年前、国民的アイドルグループのファンだった姉を真似て私も大ファンとなりました。当時はまだ小学生、テレビや雑誌で観るだけでしたが高校生になる頃には、ライブを観るために日本各地へ遠征するほどの熱の入れようでした。残念ながらグループは解散、テレビや雑誌で見かける事もなくなりました。当たり前の事が突然消えてしまい、何も手につかない程の落ち込みでした。
 少し落ち着いてきた頃、ボーカルがソロアーティストとして復活することになったのです。「グループでなくては意味がない」という想いもありましたが、慣れ親しんだ歌声は私を元気にしてくれました。

 先日、久しぶりにライブへ行ってきました。嬉しい時悲しい時に支えてくれた数々の楽曲が、心に沁み趣味を越えた宝物だなと改めて実感しました。永く同じアーティストを好きでいると、楽曲を聴くだけで自然と想い出が蘇ってきます。一曲一曲に想い出があり、日記やアルバムを見ているかのように振り返ることができます。自分のみならず家族や友人も、アーティストを観て私を想い出し連絡をくれることも少なくありません。人との絆も結んでくれて本当に有難く感じます。

 私は事務職のため、直接ご家族にお会いすることや式の場に立会うことはありませんが、弊社では毎日朝礼を行っており、担当者からの報告を聞いています。愛用していた品物や趣味の物を式場に飾り、好きだった音楽や映像を流すなど、聞いているだけで心が温まります。永く愛用されたものを通して、ご家族やご縁のあった方々の心の中で、大切な人との想い出が永遠に生き続けていくと思います。私も大好きな曲が流れる中で、自分の愛した人や物に囲まれ送られたいと思います。

文責:枡澤美絵

 東日本大震災から12年。今年も世界中で地震や台風など自然災害に見舞われ、その被害が甚大なものもありました。また、要人の暗殺など凶悪な事件もあり、逃げ惑う人々の姿に恐怖を感じました。何年か前にテレビで“人はなぜ逃げ遅れるのか?”という番組が放送されたことを思い出しました。解説の先生は、「災害に慣れていない現代人は安全な状況に慣れきってしまい、災害時の危険な状況に反応できなくなっているばかりか“危険な状況である”という事すら認識できない傾向がある。もともと人間は、危険な状況に敏感になり過ぎるとノイローゼになってしまうため、心にゆとりを持っている。そのゆとりこそが仇となり、本当に危険な状況に自分自身が巻き込まれても対応が遅れ、逃げ遅れてしまう」と話されました。また「我々は常に安心していたいものです。しかし安心したいがために、危険な状況を過小に受け取ったり伝えたりする事は、最悪な状況をも招きかねません。危険で異常な状況に直面した時は、孤軍奮闘してでも安全を高める行動が重要です。」と力説していました。
 岩手県大槌町の復興ボランティアに参加した際、とても大きな余震が二度、三度ありました。もしもその時に津波に襲われていたら、迅速に行動できていたかどうか私も自信がありません。

 人間は(特に日本人は)、何かの緊急事態に遭遇した時、周囲に人が多いと他人事になってしまい「面倒に巻き込まれたくない」「自分は関係ない」と現実逃避をし、周りの人の様子をうかがい、誰も動かないうちは自分も動かないで大丈夫と思い込んでしまいがちだそうです。では、どういった人がこういう状態に陥りやすいのでしょう。それは、仲間や上司など、周りからの指示で動くことに慣れている人だそうです。少し厳しい言い方かもしれませんが、「何事も自分で判断しない、できない人」なのだそうです。私自信も耳が痛いです・・・
 東日本大震災が起こった時、釜石の奇跡と言われ、襲い来る津波から懸命に避難し難を逃れた生徒達も最初は「どうせ大したことないよ」と軽く考えていたそうです。しかし一人の生徒の冷静な判断、真剣な呼びかけにより仲間達で助け合うことができたそうです。

 どうすれば自分で判断できる様になれるのでしょうか?それは、日頃から何か気づいた時すぐに行動する、実行に移す意識をすることだそうです。難しく考えず最初は道にゴミが落ちていれば拾ってゴミ箱へ捨てる。電車やバスで席を譲るくらいの心がけから始めてみませんか?誰かが拾うだろう、誰かが譲るだろうでは、何も変わりません。人によっては気恥ずかしく感じるかもしれません。でも、その行動が世界でたった一つのあなたの命、誰かの命を守れるかもしれません。「ほんの少しの勇気で世界中に幸せのサイクルが拡がる!」とても素晴らしいことだとは思いませんか?明日からと言わずに、今から幸せのサイクルを拡げましょう!

文責:永松英樹

 先日、初めて一万人ものランナー達が参加する“板橋Cityマラソン”に出場して来ました。
タイムは4時間49分18秒。目標としていた4時間30分というタイムを切る事は出来ませんでしたが、無事に完走することが出来ました。

日々のランニングでは10㎞~20㎞程度しか走らないので、42.195㎞という未体験の距離に胸を弾ませる一方、「完走できるだろうか」、とスタミナを案じながらのスタートとなりました。順調な序盤に比べ、30㎞を超えた辺りから足や腕、腰にも疲労が蓄積していくのを感じ、繰り返し行っている全ての動作が痛くてたまりません。終盤は、誰にともなくかけられる応援の声にも支えられ、歩いてでも前進して、落ち着いたらまた走り出す、この繰り返しです。結果、何とか走り切れたのは、日々時間を作っては短い距離でもコツコツと走り続けていたトレーニングの成果だったのではと感じています。

 「千里の道も一歩から」と言うように、マラソンでも仕事でも、踏み出す一歩と日々積み重ねる努力の大切さを改めて実感したフルマラソンでした。

 今年は40代最後の年。人生100年時代と言われていますが、ようやく折り返し地点が見えてきた位のところです。フルマラソンのみならず色々な事に挑戦出来る年齢なのではと、都合よく考えています。
 来月は3級ファイナンシャルプランナー技能検定(以下3級FP)を受験します。
 スキルアップのチャンスを頂いた会社に感謝し、次は「3級FP合格」を目指し毎日僅かづつですがテキストを読み返したり、練習問題を解いたりと、コツコツと勉強をしています。諸先輩方のアドバイスで過去問題を繰り返し解く中、始めは解けなかった問題も解けるようになってきました。しかしまだ道半ば、FPは金融や保険、年金制度、相続など幅広い知識が必要です。2級、1級とまだ上の級もあります。実際葬儀の打合せの中でも、相続や年金についてのご相談を受けることがあります。FPで得られる知識を活かし、葬儀以外のご相談、心配事に対してもアドバイスやサポートの出来る葬儀者になる為、たゆまぬ努力を積み重ねる毎日です。

文責:加藤洋一

日時:令和5年4月2日(日)  午前10時から午後3時

場所:本多祥應寺 国分寺市本多4-2-2

 毎年4月の第1日曜日に開催されている“ぶんじ花まつり”
コロナ禍の影響で中止が続いていましたが、今年3年ぶりに上記日程で開催されます。
 ~春、こころとふれあうまち~ をテーマにぶんじマルシェ北口連合商店会の方達が再び集結し、力をあわせ開催にむけて準備を進めています。
 当日は、例年の通り祥應寺本堂でお釈迦様の生誕を祝い甘茶を捧げる体験を始め、駐車場では消防はしご車やミニ消防車に乗ることができます。接待ホールでは、国分寺今昔写真展が開かれ、街の移り変わり、歴史を懐かしむことができます。お隣では立礼のお茶会も今年復活しますので、ぜひお立ち寄りください。
豪華で素敵な景品が当たる花まつりクジ抽選会は、今年も盛り上がることでしょう。
 今年井口葬儀店、エチュードの出店はございませんが、焼きそばや焼きとり、クレープなど様々なお店が皆様をお待ちしております。 
 満開の桜と暖かな春の陽だまりの中で、感染対策にも気を配り、みんな笑顔で盛り上がりましょう (*^_^*)

なお詳しくは下記アドレスの公式ホームページをご覧ください

http://hondahana.html.xdomain.jp/

ぶんじ花まつり 検索

文責:井口葬儀店花まつり実行委員会

 それは昨年の5月。家族から「父の日のプレゼントに!」とスーパー銭湯に誘われた日の事でした。脱衣所で鏡に映った自分の姿にはっとしたのです。恐る恐る体重計に乗るとやはり体重が大幅に増えているではありませんか。「このままではいけない」と思い一念発起し、肉体改造に取り組むことを決意しました。

 「毎朝体重計に乗る」「夜の暴飲暴食は控える」「週に2回運動(ジョギング)する」実行したのはこの3点です。身に沁みついた習慣を変えるということは苦痛を伴うものでした。「今日は疲れているから運動はやめておこう」「筋肉痛で動けないからお休み」「飲んだあとの〆のラーメン食べたい」・・・元来、煩悩の赴くままに生活していたため、(くじ)けそうになる事も数知れずありました。そんな時には「来年の父の日には妻や娘に引き締まった体を見せる!」と自分を奮い立たせ、可能な限り3つの事を継続していったのです。継続は力なり。減り始めた体重。少しずつ伸びる走行距離。変化が見えてくると、気持ちも前向きになってくるから不思議です。

 半年後。「体重8キロ減」「5kmをジョギングできる体力」見た目はずいぶんと年を重ねてしまいましたが、青春まっただ中、「高校卒業時の体形」を取り戻しました。得られたものはそれだけではありません。週2回、早朝に1時間半の運動を継続した結果、早寝早起きの習慣が身に付きました。食生活の改善も奏功し、秋の健康診断では「異常なし」の判定を頂きました。習慣が変わると人生が変わると言われたりもしますが、「頑張って良かったな」というのが素直な感想です。

 井口葬儀店に入社して、あっという間の1年が過ぎました。まだまだ覚えなければならない事がたくさんありますが、葬儀に関する仕事では知識や技術だけでなく、実は体力が必要なのだという事を痛切に感じています。今年50歳になる私ですが、井口葬儀店ではまだまだ駆け出しの新人です。20代の頃のようにとはいきませんが、せっかく身に付いた良い習慣を継続できるように努め、体力の衰えを少しでも遅らせねばと思っています。井口葬儀店での2年目はどのような1年になりますでしょうか。丈夫な体に生んでくれた両親へ感謝しつつ、体力以外の部分でも少しずつ先輩方に近づける様に邁進してまいります。

文責:大橋林太郎

昨年、父の三回忌を
迎えることができました

父が他界してから
猫を飼っていた母の暮らしに犬が加わりました
やはり父のいない生活に寂しさを覚えたのでしょう
息子の私はあまりにも無力です

驚いたのは
父の写真や、肖像画が
寝室やリビングに飾られるようになったことです
気丈に見受けられる母ですが
やはり喪失感は、私の想像を超えるものがあり
悲しみは今も変わらずに続いているように見えます

私も困難な案件があると「父に相談しよう」と
一瞬思ってから正気に戻ることが時々あります
まだ父は私の中に宿っていると実感し心が暖かくなる瞬間です

父は末期の癌でしたので
限られた時間でしたが、終末期の治療を受ける中
看病等をやり切ったという思いから
死を覚悟する時間を持つことができました

葬儀も関係各所のご協力とスタッフの協力により
悔いを残すことなく見送りができましたことは
母や私、親族やスタッフにとっても
その後の人生に大きな力を与えていただいたと
実感しております

                父の葬儀はこちらをクリック

私のように覚悟や準備ができていない中で
大切な人をお送りする方もおられるでしょう

愛する人の死を受け入れることができず
我々のことを敵視するような方も
いらっしゃるかもしれません

突然の死の場合は
只々、そっとしておいてほしい
時間がほしい、誰とも話したくないなど
感情を言葉に表すことは難しいと思います

逆縁の場合は、なおさらでしょう
我々ができることは、ほんの少しです

限られた時間の中でお客様の潜在的な想いを形にしてゆくこと
想いを実現するために
思慕をしっかりと受け止めて提案してゆくこと
それが我々にはとても必要な能力であると
実感いたしております

人を送るという生業を
“道”の域にまで高めてまいります

本年も
かけがえのない大切な人
100人いれば100通りのお見送りを
一歩一歩着実に目指してまいります

2023新春
文責:井口朗

 今年も井口葬儀店餅つき大会は、昨年に続き中止とさせていただきます。4回目、5回目のワクチン接種などの感染予防対策がなされておりますが、12月2日現在の感染は1万人を超すなどまだ収まる傾向にありません。加えてインフルエンザ流行の季節でもあり、同時に感染してしまう恐れもあります。

 サッカーW杯や様々なイベントは開催されており、少しずつ活気を取り戻しているように見受けられますが、皆様のお身体を鑑みれば、中止にすることは止むを得ません。井口葬儀店スタッフ一同、今年も皆様にお会いできないことが本当に寂しいです。

 いつとお約束出来ませんが、このコロナ禍が終焉を迎え、安心して皆様をお迎えできるようになりました暁には、今迄で一番楽しんでいただける「夏の納涼祭」「冬の餅つき大会」を開催したいと思います。それまで皆様、どうかお元気であられますよう心からお祈り申し上げます。

文責:餅つき大会実行委員会

 前職で生命保険の営業をしていた時のことです。
 お客様がお亡くなりになり手続きに伺った際、お兄様がおっしゃった「弟に保険を続けさせてくれて、ありがとう」という言葉が忘れられません。お客様は独身の為、病気になった後はお兄様が面倒を見ておられました。入院費などの負担が大きく、弟様が保険に加入していることがわかった時には安堵されたそうです。頼りになるお兄様がいらっしゃったことで、弟様も心強かったのではと感じました。

 手続きが終わり、会社へ戻る途中にふと自身の家庭を顧みました。「一人っ子の我が子は私たちがいなくなった後にどうするのだろう」と不安に駆られ、その日の夜に家族で将来について話し合いました。結論は出ませんでしたが、今後の課題を見つけることができ、親族に誰がいるのか、どこに住んでいるのか等を共有できただけでも少し安心しました。これからも、話し合う時間を持てるようにしたいなと思います。

 万が一のときの為に保険などでお金を備えておくことも大切ですが、家族間で気持ちや考え方を伝えて、お互いのことを知っておくことも大切な備えだと思います。例えば、「保険に入ること」が備えではなく、「どんな保険に入っていて、どういう時に役に立つのかを共有し合えていること」が備えなのではないでしょうか。
 備える方法として、我が家のような家族会議もありますし、エンディングノートでご自身の想いを書き残しておくこともできます。備えるのに大切なのは、自分が考えていることを発信し、相手の思いを受けとめて「会話をすること」だと感じます。

 井口葬儀店には1級葬祭ディレクターや終活カウンセラー、ファイナンシャルプランナー等の資格を持った経験豊富なスタッフが多数おり、事前相談も承っております。
 私は営業事務ですが、ファイナンシャルプランナーの資格も持っています。私がお話を聞くこともあるかもしれませんので、その際はよろしくお願い致します。

文責:藤田晴菜

 今年6月、父の3回忌法要をコロナ渦という事もあり、私と妻の2人だけでお寺の本堂で執り行いました。ほのかな明かりの本堂は厳かな空気に包まれ、お経を拝聴している間は日々の慌ただしさを忘れて、しみじみと父との思い出や幼かった頃の事を想い返す時間となりました。

 父は釣り、ゴルフ、ボウリング、囲碁将棋と多趣味で、家族よりも自分の趣味に生きた人でした。仕事が休みの日には早朝から釣りかゴルフに出かけてしまい、一緒に遊びに行った事などは数える程度です。そんな父でしたが私が小学2年生から始めた剣道に関しては、練習場への送迎や庭での打ち込み練習等、時間を見つけては付き合ってくれ、試合がある時には会場に足を運び応援してくれました。改めて思い返すと「一生懸命サポートしてくれてありがたかったな」と感謝の気持ちが湧いてきました。

 法要が終わると、ほっこりと暖かで穏やかな心もちで座っている自分に気づきました。はじめは「一つの区切りだから…」とやや形式的な気持ちで三回忌を執り行いましたが、終わってみると父の優しさに触れ、感謝の気持ちで供養する時間をもらえたと感じました。
 日々の生活の中ではこんなにゆっくりと自分の気持ちに向き合い、素直な心で父を想い出す時間がとれなかったと思います。改めて「法要を行って良かったな、父を想い向き合う時間は必要だったなあ」と実感しながら妻とお寺を後にしました。

 写真に手を合わせる、お墓参りに行くなど法要以外にも故人を偲び、想う方法は人それぞれかと存じます。少しの時間であっても、故人を大切に想う時間を持つことは心を穏やかに保つのに有意義で、必要な事だと父の法要から教わったように感じます。
 何かと利便性や効率を優先し、昔からのしきたりや習慣が蔑ろにされやすい昨今だからこそ、私が経験した気持ちの変化や感覚をお客様へお話しさせて頂き、今一度ご葬儀の意義や法要の大切さなどをお伝えしたい…。大切な方を亡くされたご家族様に葬儀を通して僅かでも心の平穏を取り戻していただけるようにご要望を真摯に受け止め、これからも僭越ながらお手伝いをさせていただきます。

文責:笹木幹人

 来月10月は神無月(かんなづき・かみなしづき)。私の故郷の島根県は神在月(かみありづき)と言います。島根の企業で作成されるカレンダーは神在月の表記が主流です。全国の八百万の神様が出雲の地に集まり、自らが鎮座する土地の様々な縁結びについて神議をするそうです。よって、出雲の地の10月は神在月、神様不在の他の地は神無月というようになったそうです。神話をテーマとした郷土芸能の神楽が盛んな土地で育った私にとって、神様は小さい頃から身近な存在でした。

 葬儀の仕事に就いてから初めての神道式。これまで神楽の道具として見ていた物が神葬祭の飾りに使われる三種の神器である事を知りました。三種の神器とは、八咫鏡(ヤタノカガミ)、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)、草薙剣(クサナギノツルギ)で、神話の世界を起源として、今日まで形を変えずに受け継がれた大切な品です。鏡は知恵を、勾玉は慈悲深さを、剣は勇気の象徴とされており、神器を伝承する事によって、知恵や判断力を身につけ、慈悲深い心と勇気を持って行動する事の大切さを後世に伝えているのだと気付かされました。

 どんなに時代が変化しても変わらない慣習や、時代の変化の中によって生まれた新たな慣習にも、いろいろな想いが込められています。葬儀もその一つだと言えるのではないでしょうか。ひとは旅立つ時、ゆかりのある方々が集う機会をつくってくれます。自宅葬が主流であった頃は、ご近所の方がお寺様の接待や葬儀の食事を作るなどお手伝いが不可欠でした。通夜には親しい人が集まり、お線香を供えたそうです。今日では斎場や会館で執り行われる事が多くなり、コロナ禍で近親者のみの家族葬、通夜のない一日葬も増えた事で、人との関わりが少なくなりました。普段出会えない親戚、ご縁のあった友人、近所の方との交流が深まり、そこで築かれた絆が残されたご家族の支えになる事を、私たちは葬儀を通して伝えていく役割も担っていると感じています。

 古くから伝わる地域の風習、人との繋がりの大切さを子どもたちへと伝承していく事で、子どもたちの成長の場へと繋げていければ本望です。葬送の時を通して大切な人との心の絆を確認し、これからの生活が整えられるようなご提案をしながらお手伝いさせていただきます。

文責:笠柄君予