
国分寺通信 Blog
# 国分寺通信
~残された時間~
7月の後半、夏休みを頂き子供達と田舎(京都府舞鶴市)に帰省してきました。きれいな海、自然豊かな山や川、美味しい食事。東京での暮らしとは全く違う時間を過ごせるとあって、夏休みの恒例行事となっている家族旅行ですが、今年は色々と思うところの多い帰省となりました。
子供(孫)が産まれた時は元気だった両親も今では80代。母は数年前に自宅で倒れてから特別養護老人ホームでお世話になっています。今年に入ってから身体の硬直が強くなり、すっかりと元気がなくなってしまいました。父は家の事をこなしながら、なんとかひとりで頑張っておりましたが、昨年から認知症の症状が出始め、車の免許を返納しました。移動はもっぱら徒歩となりましたが、7月の上旬、買い物に出かけようと自宅を出たところで転倒。動けなくなっていたところを、近所の人に助けてもらい救急搬送されるという事態が発生しました。これまでは電話で様子を伺うと「大丈夫や、心配せんでえぇよ」という答えが返ってきていましたが、今回は「しんどいなあ」とすっかり自信を無くした様子。
以前読んだ雑誌の記事に「離れて暮らす親にあと何回会えるのか?」という未知の数字を求める場合は、(1年間に帰省できる回数)×(あと何年元気でいられるか)と考えてみる、というような事が書かれていました。年に2回帰省できると仮定して、あと5年ならば10回、10年なら20回。漠然としていた考えを数字でとらえてみると、残された時間がそれほど多くはないという事に改めて気付かされます。
今回の帰省は子供達には遊ぶ時間を少し我慢してもらい、家の掃除や草刈り、日用品の買い出しなどを手伝ってきました。大勢での食事で久しぶりに酔っぱらった父は少しだけ元気を取り戻した様子でした。ホームに入所している母の所へも赴き、限られた時間ではありましたが孫との会話を楽しんでもらえました。この先も心配事は尽きませんが、少しでも楽しく元気に過ごしてもらえたらと思います。帰りの道中、ふと「あと何年働く事ができるのかな?」という事が頭に浮かびました。誰にとっても時間は有限です。限られた時間をいかに充実させることができるか、そんなことを考えるきっかけをもらった夏休みとなりました。
文責:大橋 林太郎