昨年2月に父が他界し喪中の年末年始を母と二人で過ごしました。父が亡くなってから、毎朝5時には起きて、お供えを替え、お味噌汁を作ってくれる母、いつまで続くのかなと思っていましたが、今ではすっかり日常となっています。そんな母ですが未だ父にお線香をあげ遺影写真に手を合わせているところを見たことがありません。私が朝な夕なにお線香をあげているところを隣でじっと見ているだけ。「母さんもあげなよ」とすすめてもそっぽを向いてしまいます。日常的なことは出来ても父にお線香をあげるという行為には抵抗があるようで、まだ父との別れを受け入れられないのでしょう。しかし普段はお友達と出かけたり、旅行に誘ってもらえたりしているので少しずつ元気になっているんだなと感じています。

 私は相変わらず、毎朝父に手を合わせて、母のお味噌汁を頂いてから出かけています。出社する時、母は必ず玄関まで送りにきてくれて、「今日は当直だよね…」「帰りは何時?」などと毎日聞いてきます。ある日、玄関を出てふと振り返ると、母が手を振っているではありませんか!思わず私も手を振り返し、「行ってきます!」と大声で叫んでいました。毎日こうやって見送ってくれていたんだと、感動で目頭が熱くなるほどではなかったですが、60歳手前の私でも母からすれば子どもなんだと感慨深いものがありました。この幸せな時間ができるだけ永く続くことを願っています。

 私 永松英樹は今年還暦を迎えます。干支が一巡して生まれ年の干支に戻ることから暦が還る、“還暦”というそうで、その年の誕生日に還暦のお祝いをしてもらえるそうです。その時に、昔流行った西城秀樹さんの持ちネタを『ヒデキ、還暦!(カンゲキ)』とマネをして、大爆笑を取るのが楽しみです。「還暦」とは干支の二巡目が始まることから、第二の人生のスタートの年でもあるようです。もう若くはありませんが老いに抵抗し、人生を楽しく、有意義に過ごせるように、毎朝手を振って見送ってくれる母を大事に守りながら一所懸命に頑張ります。
皆さま、よろしくお願い致します。

文責:永松 英樹

初めてご葬儀を執り行うご家族様は
悲しみに暮れ戸惑いを感じ
ご希望やご要望を、すぐにはお話していただけない事もございます
初対面の私たちを警戒されているのかもしれません

弊社では
初めてお会いするご家族様にも
少しでも安心していただけるよう
「私たちの考える」当たり前のことを当たり前におこなう
7つの約束を宣言し実践しております

表情や仕草から、お気持ちを察し、心に寄り添い
時には質問をさせて頂き
こんなこと聞いて良いの?
今さら聞いたら恥ずかしい?等々
どの様な些細な事も
私たちはご家族様のお話を沢山お聴きします

そして
お話いただいた事を、ただ実行するのではなく
ご家族様の心に耳を傾け、想いをお訊きして、送り方をご提案してゆきます

限られた時間の中で
ご家族様の潜在的な想い(思慕)を
しっかりと受け止め 実現してゆくことが
私たちはとても必要な能力であると
実感いたしております

本年も
かけがえのない大切な人を
100人いれば100通りの送り方で
一歩一歩着実に目指してまいります

2025新春
文責:井口朗

日時:令和6年12月27日(金) 11時~14時まで
場所:弊社お客様駐車場にて
    今年もテイクアウト(お持ち帰り)のみとなります

 今年も井口葬儀店餅つき大会を開催致します。餅つきを楽しんでいただき、つきたてのお餅に、きな粉や餡子、クルミなどの味付けをして、お持ち帰りいただきます。

 “よいしょぉ~!よいしょぉ~!”のかけ声とともにつきあがっていく真っ白なお餅と、皆さんの笑顔にお会いできる喜びにスタッフ一同胸を躍らせ準備を進めております。

沢山の方のご参加を心よりお持ちしております。もちろん、今年も無料です!

文責:餅つき大会実行委員会

 昨年六月三日に他界した母の葬儀も無事に終わり事後手続きや七七日忌法要の準備を整えている最中、父が七月十四日に他界しました。母の七七日忌法要に出ることなく旅立った父はさぞかし悔しかっただろうと思います。

 頭の中では、親はいつか必ず亡くなることは理解していたつもりです。しかし両親が続けてこの世から存在しなくなったことに、当時は怒りと不当感が込み上げ「なぜ俺だけがこんな目に」と・・・むごい仕打ちを受けたという感情が沸き上がっていた気がします。もしかするとあの頃は、自分では平静を保っているつもりでも、周囲の人々にやり場のない感情をぶつけていたのかもしれません。

 両親の七七日忌法要を併修し納骨は一周忌まで行わないことを兄と決めて北海道から帰宅しました。仕事に復帰してからは、「自分は普段通りの仕事ができているのか?」「落ち込んだ姿を皆なに見せると気を使わせてしまう」など・・・色んなことを考え、普段なら三十分もあれば終わる事務仕事も倍の時間が掛かりました。「何か抜けていないか?」「間違いがないか?」と確認作業を繰り返しながらの日々が二、三ヶ月続きましたが、仕事をしていると少しだけ気持ちが紛れました。ご遺族様との会話の中で両親との思い出がフラッシュバックすることもありましたが、悲しみの中にあるご遺族様と「死」について共感し、葬儀のことを互いに話しあえたことは自身の悲嘆の回復を早めることにも繋がったのかもしれません。今では毎日、写真の中の両親に「いってきます」「ただいま」と心の中で穏やかに会話をしています。

 どことなく心落ち着かない一年ではありましたが、一周忌法要と納骨も無事に終えた今は、やっと心に余裕が生まれたように感じます。弊社のホームページにも掲載しているアルフォンス・デーゲン先生の『12段階の悲嘆のプロセス』にあるように、人により違いはあるにせよ、苦悩に満ちた悲嘆のプロセス(悲しみ嘆く心の回復過程)を経て、より成熟した人間に生まれ変わることができたのかもしれません・・・きっと
 しかし間違いなく言えることは「いつか必ず元気になる日が来る」ということです。皆様も悩み苦しい時は、同じ境遇に置かれた人とのコミュニケーションが自身の「悲嘆の回復」に繋がることと思います。

文責:佐々木 俊已

 今年2月、銀婚式のお祝いを兼ねて妻と広島を訪れました。この旅は、行きたい場所をいくつかピックアップし、詳細なスケジュールは組まない形にしたため時間に追われることなくゆったりと過ごすことができ、私たちにとってかけがえのない思い出となりました。

 初日、山口錦帯橋空港に到着後、そのまま錦帯橋へ向かいました。日本三名橋の一つである錦帯橋は、見事なアーチと精巧な木組みが印象的で、特に橋脚側からの眺めには感動しました。橋を渡った先には、山頂にそびえる岩国城があり、ロープウェイで途中まで上がった後、山道を15分ほど歩いて辿り着きました。城内には錦帯橋のミニチュアや刀剣が展示されており、歴史を身近に感じながら過ごすことができました。

 翌日は早朝にホテルを出発し、広島平和記念館まで散策を楽しみながら歩いて向かいました。記念館内では、当時の手記や家族への手紙などのたくさんの展示物を通して、戦争の悲惨さや平和の尊さについて深く考える時間を過ごしました。平和記念館を後にし、原爆ドームへ向かうと多くの外国人観光客が訪れており、広島から発信される平和のメッセージが、世界中に広がっていることも実感できました。

 最終日には、船で宮島へ渡り、朝日に照らされて朱色に輝く鳥居の壮大さに心を奪われました。開門と同時に厳島神社を参拝し、妻と二人で家内安全の祝詞をいただきました。波の音と祝詞が醸し出す厳かな雰囲気の中で心が洗われ、この旅を静かに締めくくることができました。

 私たちは皆、人生という「旅」をしています。その旅の長さは人それぞれですが、どれもがかけがえのないものです。私も50歳を超え、人生の折り返し地点を迎えました。これからは、これまでのようにせわしなく動き回るのではなく、もっとおおらかな気持ちで日々を過ごしていこうと考えています。今回の旅のように、ゆったりと落ち着いて、本当に大切なことに心を向けていきながら、仕事もプライベートも丁寧に向き合っていきたいと考えています。まだまだ先のことだと願いつつ、いつか迎える最後の時には、弊社の企業理念である「人生とはすばらしいと感じてもらう」を胸に、私自身も「ああ、素晴らしい人生だった」と心から思えるように、毎日を大切に生きていきます。

文責:笹木幹人

 2年前、高校生の息子がひとりで海外旅行をしようと計画している姿に刺激を受け、「私もやりたい!」と年に1回の「ひとり旅」を始めました。
 昨年の冬、初ひとり旅は特急チケットを用意せず出発からつまずき、安さ優先で宿を選んでしまったがためにお風呂が楽しめず、朝食も取り損ねてしまいました。旅の目的だった「ひとり旅ゆえの自由」は思う存分に満喫出来ましたが、少々残念な初旅となってしまいました。

 「ひとり旅はもういいかな」とも考えていましたが、家族から「ママ、今年も行くでしょ」と背中を押され、今年の2月に2回目の旅を決行しました。昨年の反省を踏まえ計画を立て、朝は貸し切りの露天風呂につかり、地元の名産品を使った食事を堪能し、前回とは違う贅沢な時間を過ごせました。家族が快く送り出してくれ、諦めずにもう一度チャレンジしたから、この満足感が味わえました。旅を続けていくうちに更に楽しみ方がわかってくるのではないかと思い、来年の旅行が今から楽しみです。

 仕事においても、諦めず継続したことで成長できたと感じたことがありました。
 入社して間もない頃は、御線香を包装する際にとても時間が掛かり包装紙を何枚も無駄にしてしまいました。あまりの不器用さに「私にはこの仕事向いてないのかな」と落ち込むこともありましたが、先輩スタッフにコツを教わり、動画を見てイメージトレーニングを重ね1日1箱を包むことを繰り返し、徐々に上達していきました。諦めず続けたことで苦手を克服出来たことは自信となり、何事も前向きに取り組めるようになりました。
 入社して3年目になりますが、ご来店されたお客様に仏壇や仏具に関して質問された際、即答出来ない時もあり申し訳なくなります。自信を持って自分の言葉で答えられるようになるためにも、宗教本や仏壇・仏具カタログを繰り返し読んで勉強を続け、励んでいます。

 私自身40代を迎え人生の中盤に差し掛かり子供も成人した今、自分のやりたいことが躊躇なくできるようになってきたと感じています。これからの人生を楽しむためにも仕事もプライベートも前向きな姿勢で取り組み、苦手なことも諦めず継続していきます。

文責:藤田晴菜

 長女が大学入試、次女が高校入試と今年は二人の娘がそろって受験生です。6月頃に部活も引退し、受験生らしく勉強に励んでいます。夏休み中も、それぞれ塾の夏期講習や模擬試験、志望校の見学など、朝から晩までとても忙しく過ごしています。私は学生時代そんなに勉強した覚えがなく、只々感心するばかりです。この夏は来年の入試に向けた彼女達の頑張りどころなのでしょう。

 人生に於いての頑張りどころは誰にでもあり、そこが人生の節目になると思います。頑張りの結果がどうであれ、その時を真剣に一生懸命に過ごす事で、自身の成長に繋がり、人生を豊かにしてくれると信じています。ピリピリして、挨拶も無ければ見向きもされない塩対応の日も多い彼女達ですが、体調を崩していないか、睡眠はとっているのか、何か悩んでいることはないか、親として心配事は尽きません。

 私達がお手伝いさせて頂く葬儀も人生の一つの節目と言えるでしょう。振り返った時に「良い葬儀だったね」「新たな出発の準備が出来た」「今はとても幸せに過ごせている」と思っていただけるようなサポートをしていかねばなりません。葬儀を執り行う事が故人様との別れの悲しみを少しずつでも和らげてくれる事にもなり、その先へと繋がるとても大切な「節目」になると考えています。残されたご家族や親しい方々の想いをしっかり聴き尋ねて葬儀という形にしていきます。

 その為に私が心掛けている事は、ご遺族の表情をしっかり見る事です。ご主人との馴れ初めを優しい表情でお話される奥様や厳しかった父親の趣味の絵画を誇らしげに説明される息子さん、お話する内容や表情は様々です。どんなご提案もアドバイスもその表情を見落としては、真に寄り添ったものにならないのではと考えています。
 葬儀社である私達だからこそ、気がつける想いや表情、仕草を見逃さないよう心がけています。

 さて、我が家の二人の受験生達がこの夏を振り返った時、「今楽しく過ごせているのはあの夏を頑張ったからだ」と思ってもらえるよう、父として節目の一助となる事を見逃さない様に過ごす毎日です。

文責:加藤洋一

残念ながら、今年度より弊社主催の納涼祭は中止といたします

中止の理由

◆ コロナウィルスの影響がいまだに収まらず、予断を許さない状況が続いている
◆ 飲食の提供を中心とするイベントによりマスクを外す為、感染予防を鑑みて
◆ 夏の暑い季節の開催の為、食中毒などのリスクを考慮して

 納涼祭の中止は、地域の皆様との楽しい時間を共有する機会を失うこととなり、とても心残りです。この決断は容易なものではありませんでしたが、地域の皆様の健康と安全を最優先に考えた苦渋の決断です。

 年末には、令和5年12月と同様に餅つきイベントを開催します。日本では古くから行われており、家族や友人と共に餅をつき、神様、仏様にお供えし感謝の気持ちを伝える大切な行事です。新しい年の始まりを祝い、家族や地域の絆を大切にする機会でもあります。開催日時は決まり次第お知らせしますので、皆様にはぜひお越しいただき一緒に餅つきを楽しんでいただければ幸いです。

 今後とも地域の皆様とのおつながりを大切にし、健康で幸せな日々を共に築いていける一助となれることを願っています。

有限会社 井口葬儀店

 私はプロサッカークラブ「FC東京」に夢中です。とは言え単純なルール以外は無知で、まだまだ駆け出しのいわゆる「にわか」です。初観戦は一昨年の秋。元々サッカーに関心があった訳ではなく、一体感を味わえるような「ライブ」が好きなので、行ってみたいと思いチケットを購入しました。スタジアムの席は大きく分けると二種類、ピッチサイド側の指定席とゴール裏の自由席、指定席は「観戦」自由席は「応援」と言った感じです。ゴール裏は熱狂的なサポーターが多く、試合が始まるとほぼ全員が立ち歌声も大きくなり、大旗を振り皆が飛び跳ねている、なんとも刺激的な光景で試合よりも気になり「あっちの席が良かったな」と思ったのを覚えています。

 2回目は昨年の開幕戦で指定席。色々と勉強をし選手も応援歌も覚えました、この日はユニフォームの無料配布があり、見た目は少しだけ進化。3回目はゴール裏に一番近い指定席。試合終了後にゴール裏で熱気を味わい、その日のうちに憧れのゴール裏のチケットを購入しました。

 「どうせ行くならとことんやろう!」と気合を入れてファンクラブに入会。推しの選手を見つけ、グッズも集めました。チームカラーを身にまとい憧れのゴール裏へ!席に着くと前方には拡声器を持ったリーダーがサポーターを鼓舞し士気を高めます。試合前から「絶対に勝つ!絶対に勝て!」と熱く思い強く願うサポーター達。名前も知らない仲間と共に勝てば大騒ぎ負ければ悔し泣き、同じチームを愛しているからこそ気持ちの共有ができる最高の空間で瞬く間に染まりました。憧れだったゴール裏も今では大切な居場所です。

 弊社の経営理念の中に「人生とは素晴らしい」と言う言葉があります。只今、人生の折り返し地点。そんな時に出会ったサッカー観戦と言う趣味は喜怒哀楽を共感でき、心と体に良い影響を与えてくれています。観戦の翌日は、試合の結果に関係なく清々しい気持ちで仕事に打ち込めています。「どうせ行くならとことんやろう!」と形から入った私が、これほど夢中になるとは思いも寄らず、形から入る事も人生を楽しむ術だなと実感しています。様々な経験を通しこれからも人生を目一杯楽しみます!「人生とは素晴らしい」と日々言えるように。

文責:枡澤 美絵

 私ごとになりますが、このコーナーにも何度か登場した父 英明が、今年2月に亡くなりました。深夜2時過ぎ、お風呂場で倒れている父に母が気づき、2人で必死に抱え上げ「どうか戻ってきて!」と人工呼吸など処置を施しましたが、病院に運ばれてすぐ亡くなりました。84歳、突然のお別れでした。両親は宵っ張りでいつも夜遅くにお風呂に入るので心配して何度も注意をしていたのですが…

 私は葬儀者として働き始めてから25年ほど経ちます。日々出会うお客様の中には、両親と同じくらいの年代の方のご葬儀をお手伝いすることもございます。そんな時いつも思っていたのは、「うちは、2人とも健康で大きな病気をすることもなく、何よりも仲良く生活できているな」と元気な2人に感謝しておりました。この先も、5年、10年、15年と続いていくのだと勝手に想像していました。

 私たちの住まいは神奈川県ですが、「私たち(両親)のことを知ってくれている井口葬儀店、国分寺で葬儀をお願いしたい」との母の希望もあり会社に依頼し、上司に担当していただきました。同僚たちも総出で手厚い葬儀をしていただきました。自分も少しは業務の役に立ちたいと申し出ましたが、上司に「あのお母さんを独りにしないで今は家族で過ごすお父さんとの時間を大切にしなさい」との言葉に心がすっと癒され、通夜葬儀までの5日間を父と母と弟の4人でゆったりと過ごすことができました。葬儀が終わった後も忌引き休暇をいただき本当に感謝しています。

 亡くなって3カ月が過ぎ、無事に四十九日法要も終わりました。母は父との想い出に涙が溢れてしょうがない時や眠れない夜もあるようですが、宵っ張りはやめて毎朝父にお味噌汁を作ってお供えしています。私も毎日卵入りの美味しい味噌汁を父と一緒に頂いてから出勤しています。気晴らしにと友だちと出かけたり、お休みしていたスポーツジムに再び通い始めるなど母なりに少しずつ日常を取り戻そうとしているのかなと感じています。

 大きな喧嘩をしたこともなく、真剣に話し合ったこともなかった私たち親子。育ててもらった恩と、かけがえのない幸せな時間を過ごせた感謝の気持ちを伝えることが出来ないままのお別れとなってしまいましたが、これからも私と弟で母を支え「永松家」としてそれぞれの立場でしっかりと生き続けます。父 英明の生涯に関わって頂いた方、この度の葬儀にご尽力頂いた全ての皆様に心から感謝し、そのご恩に報いることができるよう精進し続けます。

文責:永松英樹