私ごとになりますが、このコーナーにも何度か登場した父 英明が、今年2月に亡くなりました。深夜2時過ぎ、お風呂場で倒れている父に母が気づき、2人で必死に抱え上げ「どうか戻ってきて!」と人工呼吸など処置を施しましたが、病院に運ばれてすぐ亡くなりました。84歳、突然のお別れでした。両親は宵っ張りでいつも夜遅くにお風呂に入るので心配して何度も注意をしていたのですが…

 私は葬儀者として働き始めてから25年ほど経ちます。日々出会うお客様の中には、両親と同じくらいの年代の方のご葬儀をお手伝いすることもございます。そんな時いつも思っていたのは、「うちは、2人とも健康で大きな病気をすることもなく、何よりも仲良く生活できているな」と元気な2人に感謝しておりました。この先も、5年、10年、15年と続いていくのだと勝手に想像していました。

 私たちの住まいは神奈川県ですが、「私たち(両親)のことを知ってくれている井口葬儀店、国分寺で葬儀をお願いしたい」との母の希望もあり会社に依頼し、上司に担当していただきました。同僚たちも総出で手厚い葬儀をしていただきました。自分も少しは業務の役に立ちたいと申し出ましたが、上司に「あのお母さんを独りにしないで今は家族で過ごすお父さんとの時間を大切にしなさい」との言葉に心がすっと癒され、通夜葬儀までの5日間を父と母と弟の4人でゆったりと過ごすことができました。葬儀が終わった後も忌引き休暇をいただき本当に感謝しています。

 亡くなって3カ月が過ぎ、無事に四十九日法要も終わりました。母は父との想い出に涙が溢れてしょうがない時や眠れない夜もあるようですが、宵っ張りはやめて毎朝父にお味噌汁を作ってお供えしています。私も毎日卵入りの美味しい味噌汁を父と一緒に頂いてから出勤しています。気晴らしにと友だちと出かけたり、お休みしていたスポーツジムに再び通い始めるなど母なりに少しずつ日常を取り戻そうとしているのかなと感じています。

 大きな喧嘩をしたこともなく、真剣に話し合ったこともなかった私たち親子。育ててもらった恩と、かけがえのない幸せな時間を過ごせた感謝の気持ちを伝えることが出来ないままのお別れとなってしまいましたが、これからも私と弟で母を支え「永松家」としてそれぞれの立場でしっかりと生き続けます。父 英明の生涯に関わって頂いた方、この度の葬儀にご尽力頂いた全ての皆様に心から感謝し、そのご恩に報いることができるよう精進し続けます。

文責:永松英樹

 私の趣味の1つにインスタグラムがあります。7年前、高校生の子供に作るお弁当の記録として始め、母の独り言と称して『#お弁当#高校生弁当#息子弁当』を付けて投稿していると同じ境遇のお母さんや息子のクラスメイトからコメントが届くようになり繋がりも増えはじめ、毎朝悩みの種だったお弁当作りは楽しみの時間となりました。お弁当作りが終わった今では子供達の成長を見守る場所として現在も続いています。

 先日も投稿を眺めていると、故郷の海に出会いました。裸足で走り回った砂浜や港、地元の漁船など毎日見ていた景色は故郷を離れて暮らす私に元気をくれる景色になっており嬉しくなり「久しぶりに故郷の海を見て幸せな気持ちになりました。これからも故郷の風景を楽しみにしています」とコメントすると丁寧な返信がありました。私の勝手な妄想では、地元で暮らす同年代の方の投稿だと想像していましたが、なんと!野球をするために越境し寮生活をしている高校生だったのです。「せっかく海の写真を喜んでもらいましたが卒業しこの地を離れます。撮り貯めた写真を楽しんでください」との事。逆に気を遣わせてしまった事を反省し「親元を離れ頑張ってこられた3年間お疲れ様でした。夢に向かって励まれてくださいね」と伝えた数日後、「大学に合格しました!次のステージは沖縄です。素顔も知れない私の応援をしていただきありがとうございました。沖縄の海や景色も楽しんで下さい」と報告がありました。たまたまコメントした私に報告して下さった事や息子と同い年なのに礼儀正しいところに感心し、我が子の成長と共に応援する楽しみが1つ増えました。

 先日読んだ禅の教えに、“一期とは一度たりともとどまっていない変化し続ける一場面、一会とは真っさらな一時の出会い”という意味を持つとありました。地域や世代を問わずネットを通じて共通のキーワードで繋がるSNSでの一期一会は感動と感謝を教えてくれました。今年は桜の開花も重なり春らしい新年度がスタートしています。夢や目標に向かって進み続ける未来を担う子供たちの新しい道のりが素晴らしい人生になりますようにと見守りながら、私自身日々の出会いの瞬間を大切に感謝の気持ちを忘れず1年を過ごしてまいります。

文責:笠柄 君予

日  時:令和6年4月7日(日)  午前10時から午後3時
場  所:祥應寺 国分寺市本多4-2-2
主  催:本多すずらん商店会
共  催:本多中央商店会 国分寺駅北口商店街
特別協力:祥應寺
協  力:本多八幡神社氏子会

毎年4月の第1日曜日に開催されている“ぶんじ花まつり”
今年も上記日程で開催されます。

~春、こころとふれあうまち~ をテーマにぶんじマルシェ北口連合商店会の方達が集結し、力をあわせ開催にむけて準備を進めています。

 当日は、例年の通り祥應寺本堂でお釈迦様の生誕を祝い甘茶を捧げる体験を始め、新装されたホールでは、国分寺今昔写真展が開かれ、街の移り変わり、歴史を懐かしむことができます。毎年、チビッ子や鉄道マニアを夢中にさせる鉄道模型ジオラマ、今年もやってきます。お茶会も催されます。ぜひお立ち寄りください。

 豪華な景品が当たる「花まつりくじ抽選会」は、今年も盛り上がることでしょう。焼きそばや焼きとりなどの模擬店や例年のクレープに加えてカレー、オムライスなどのキッチンカーが皆様をお待ちしております。 
 私ども井口葬儀店は会場設営、案内看板作成などをお手伝いさせて頂いております。

満開の桜と暖かな春の陽だまりの中、みんな笑顔で盛り上がりましょう (*^_^*)

文責:永松 英樹

 昨年10月。娘達が通う小学校で運動会が開催されました。保護者が参観できる形の運動会は4年ぶりの事でした。時間短縮のプログラムで午前中だけの開催ということで、お昼にみんなでお弁当を囲んでの食事ができず少々寂しくもありましたが、子供たちの姿を参観できるようになったのが何よりうれしい事です。

 新型コロナウイルスが世界で猛威を振るった数年間。以前の日常生活とは一変し、生活様式も大きく変化しました。色々な催事・イベントが中止、縮小されてきましたが、昨年、コロナウイルス感染症が2類から5類へ移行したことが契機となり、コロナ禍前の催事を復活させる機運が高まっています。まだまだ手探りではありますが、コロナ禍をのりこえて世の中に活気が戻りつつあります。そんな中、井口葬儀店でも年末の「もちつき大会」を4年ぶりに開催する事ができました。感染症対策を含め、事前の打ち合わせを何度も重ね準備が進められました。お餅は持ち帰りのみとする、イートインスペースは設けないなど、以前と比べると規模は小さくなりましたが、希望者には『もちつき』を体験してもらうことができました。

 当日は天候にも恵まれ、近所にお住いの約150名の方々に参加頂きました。会場では笑顔があふれ、「美味しかった」「楽しかった」というお声を聞くことができ、小さいお子さんに『もちつき』を体験させてあげたいと参加された親御さんからは「来年もぜひ開催して欲しい」とのご要望も頂戴しました。我が家の娘たちも飛び入り参加させてもらい、はじめてのもちつき体験に大興奮、帰ってから食べたつきたてのお餅の美味しさに大感動でした。

 『もちつき』という日本の年末の伝統行事を若い世代に伝えていく事に手ごたえを感じました。「開催できて良かった」というのが素直な感想です。地元に密着したこのような活動を通じて、井口葬儀店が顔の見える葬儀社として、長年国分寺の地で事業を継続できているのだという事を体感できました。この先もこのような機会があれば、積極的に参加して思いっきり楽しみたいと思った一日となりました。

文責:大橋林太郎

悲しみについて大切なこと
人との別れは
どんなに苦しくても必ず人を成長させてくれると信じています

深い悲しみにつつまれているご遺族様にとって
私たちはあまりにも無力であることを自覚し
ご遺族様と後悔の少ない送り方を ご相談し模索しながら ご提案してゆきます

そのためには 私たち葬儀者が
人生を楽しみ豊かにすることが重要だと考えています
会社以外のコミュニティーの充実
目まぐるしく変化する世の中に対して 知識と教養を高め
短期の目標をさだめて己を進化させる
人生の視野を広げ 奥行を深め 厚みを増すことによって
心の安心 安全を届けられると思っています

辰年だからこそ登り竜のように
私たちが人生を謳歌しているからこそ
ご遺族様の為に
一生懸命になれるのだと感じています

弊社では
初めてお会いしたご遺族様が 少しでも安心できるように
当たり前のことを当たり前におこなう
7つの約束を宣言しております

限られた時間の中でお客様の潜在的な想いを形にし
思慕をしっかりと受け止め 想いを実現してゆくことが
我々にはとても必要な能力であると
実感いたしております

人を送るという生業(なりわい)
どう”の域にまで高めてまいります

本年も
かけがえのない大切な人
100人いれば100通りのお見送りを
一歩一歩着実に目指してまいります

2024新春
文責:井口朗

日時:令和5年12月27日(水) 11時~14時まで

場所:弊社お客様駐車場にて

今年はテイクアウト(お持ち帰り)のみとなります

 井口葬儀店餅つき大会を4年ぶりに開催致します。諸事情を鑑み、会場での飲食は出来ませんが、餅つき体験を楽しんでいただき、つきたてのお餅に、きな粉や餡子、クルミなどの味付けをして、ご自宅でお召し上がりいただくというスタイルとさせて頂きます。

 “よいしょぉ~!よいしょぉ~!”のかけ声とともにつきあがっていく真っ白なお餅と、皆さんの笑顔に再会できる喜びにスタッフ一同胸を躍らせ準備を進めております。

沢山の方のご参加を心よりお持ちしております。もちろん、今年も無料です!

文責:餅つき大会実行委員会

 夏に義母が旅立ちました。20年前、初めて会った時の印象は「多趣味でパワフルな人」でした。女手一つで子供二人を育て上げ、還暦後は積極的にボランティア活動に励み、友人たちとゴルフや旅行に行き、お遍路をめぐっていました。読書家でもあり、季節の変わり目や旅先から手紙を書く筆まめな面もありました。大変頼りになる義母で、一緒に家電を買いに行き値段交渉をしてくれたり、時には夜中に虫を退治しに来てもらったこともあります。

 そんなしっかり者の義母が病気をきっかけに、今まで当たり前に出来ていたことが困難になり、出来ない自分自身に落ち込んでいきました。近所に住む私たちは毎週末、義母と一緒に買い物へ出掛けていました。痴呆が進み、会話のキャッチボールが難しくなると、夫が母へ声を荒げることもあり、帰りの車中では後悔をしていました。お喋り好きな母を覚えているだけに、衰えていく姿を受け入れるのが難しかったのだと思います。それでも夫は毎日欠かさず電話をし、時間があれば好物のちらし寿司や杏仁豆腐をお土産に、母の元へと顔を出していました。今まで育ててくれた母親へ息子としての感謝の形だったのでしょう。

 人との別れは突然にやって来ます。以前のように義母と楽しく過ごせた日々をもう一度と願っても、叶いません。今まで通りの生活が送れなくなること、居て当然の人がいなくなることの虚しさを経験し、当たり前だと思っていた日常は、とても有難い日々で成り立っているのだと思い知りました。義母を見送る時、自然と「お義母さん、ありがとうございました」と感謝の言葉と涙が出てきました。いつも我が家のことを心配し助けてくれたこと、どんな時も「どうにかなる、大丈夫」と励ましてくれたこと、義母に支えられた思い出がいくつも甦ってきました。

 井口葬儀店に勤めて2年。今日も元気に仕事が出来ること、美味しくご飯が食べられることを幸せに思います。これからの人生、当たり前に過ごせる日常に感謝し、常に「ありがとう」を心の中に持ち続けることが今の私にできる義母への感謝の形だと思います。

文責:藤田晴菜

 私の部屋には、ビールグラスを前ににっこりと微笑む父の遺影写真が飾ってあります。写真の横には、生前好きだったビールやナッツ、そしてカップに注がれた一杯の珈琲が供えられています。
 3年前、葬儀が終わり父の遺骨を私の部屋に連れて帰った時、ふと「そうだ、珈琲を淹れてあげよう」と思いました。その日以来、毎朝欠かさず父に珈琲を用意し、私が仕事で不在の日には妻が代わりに供えてくれています。

 今年8月末に納骨を済ませると一区切りついたせいか少し安心した気持ちになり、休日に物思いにふけ写真を前にコーヒーを飲んでいると、なぜ父に珈琲を淹れてあげようと思ったのか思い至りました。父は若い頃、食品卸の会社に勤め、喫茶店で珈琲を淹れる仕事もしていたと母から聞いていました。その為か、自宅でもよく珈琲を淹れて楽しんでいた記憶があります。私が子供の頃、父と出かけると、お昼ごはんは蕎麦屋でざるそば、その後は喫茶店で父は珈琲、私がクリームソーダを注文するのが定番でした。私が成人した後も、お酒が苦手な私との共通点は珈琲でした。
 晩年、介護施設に入所していた父を見舞うときには、近くのコンビニでドリップコーヒーを買ってから訪ねていました。コーヒーの香りが広がる部屋で妻と父と3人で一緒に飲んだその時間は、ほっこりとした幸せな時間であり私達夫婦にとって大切な思い出です。

 毎朝父へ珈琲を供える事は、これから先も続けます。それは私ができる父への供養であり、父とのつながりを感じられるひと時だからです。故人に対する想いや価値観は人それぞれだと思います。珈琲を供えることは自己満足なのかもしれませんが、好きだったものを供えてあげられる事で、私たち夫婦の気持ちは安らぎます。毎朝お供えする淹れたての珈琲の香りに包まれながら手を合わせる時間を大切にし、おいしそうに飲む父の横顔を想いながら、これからも感謝の気持ちを忘れずに健やかに過ごしてまいりたいと存じます。

文責:笹木幹人

 六月三日深夜。兄からの電話。「今、お母さん死んじゃったよ・・・」私は、「わかった」としか答えることが出来なかった。コロナの影響で入院後は約四年会えなく、看護師に繋いでもらったテレビ電話の会話や入院前に話した事など・・・実家へと向かう移動中の飛行機や電車の中で母との沢山の思い出が浮かんでくる。

 自宅に着くと顔に白布が被せられた母が寝ていた。四年ぶりの対面は一言も話しをしてくれない色白い顔の母だった。私はすぐさま母が愛用していた化粧品を探し出し娘と一緒に化粧を施した。これで「綺麗になったよ!お母さん・・・」と話しかけた瞬間、「俊巳ありがとう」と笑みを浮かべる母の顔が浮かんだ。すると娘が「おばあちゃんは派手だったから」と仕上げにハイライトを入れてくれた。娘には娘なりの祖母への思いがあったのだろう。それから、母を囲み兄夫婦と全員で昔懐かしのアルバムを見ながら思い出を振り返った。

 通夜当日、納棺の時間に葬儀社が自宅へやってきた。葬儀は、その地域で慣習が異なる。私の地元北海道では、映画「おくりびと」のように納棺師が旅支度を綺麗に整えてくれ、家族はその光景を眺めているだけ。でも、どうしても母に自らの手で旅支度をしたいと思い、娘と息子と一緒にピンク色の手甲・脚半・足袋を着け身支度を整えさせてもらった。

 式場に移動し遺影写真に目を向けると、遺影写真前には赤とピンクの大きなアンスリウムがたくさん生けられていた。母の日にカーネーションではなく、母の好きなアンスリウムを贈っていたことを葬儀社に伝え、祭壇にも使ってもらうようにお願いしていた。花に囲まれた遺影写真を眺めていると、子供の頃のように私と兄に呼びかけてくれそうな、そんな優しい笑顔だった。

 私はこれまで葬儀者として、たくさんのご家族のお見送りをお手伝いしてきた。私なりにご遺族に寄り添い、ご要望を伺い満足のいく葬儀を行なっていただけるよう心を尽くしてきた。それでも、今回自分の母を送る立場となり一つの目線が明確になった。人一人を送るということは、家族、親戚、兄妹など、たくさんの人の思いを汲み取り一つの葬儀を作り出していく難しさを、今まで頭では理解していたつもりだったが母を送り出したことでより実感として心に刻むことができた。
 これからも人を送るという仕事を生業としている者として、できる限りの精進を尽くして行こうと思った。合掌

文責:佐々木俊巳

 先日、息子の高校生活最後のバスケットボールの試合を見に行きました。息子は親元を離れ下宿生活を送りながら練習に励んできました。今回の大会は勝てばインターハイ出場、負ければ高校生活最後の試合となる大事な大会。コロナ禍でほとんどの大会が無観客試合でしたが規制も緩和され、直接試合を観戦できる事と息子に会える喜びも加わり、大会前から母親の私が一番興奮していました。

 順調に勝ち進み決勝戦。前半は40対53、相手チームにリードを許しハーフタイム。後半戦、気持ちと戦術を切り替えた選手は一気に同点に追いつき一進一退の攻防。両校の応援も最高潮となり体育館は緊迫した空気に包まれます。残り時間8.6秒。76対77 1点ビハインド、1ゴールを奪えば逆転優勝となるクライマックス。両校の選手とも全力で攻防を繰り広げますが最後のシュートが外れリバウンドボールが相手チームに渡った瞬間、試合終了のブザー。試合後、選手全員応援席に向かい深く一礼すると会場は大きな拍手と歓声に包まれ高校生活最後の大会が終わりました。優勝という目標を掲げ、最後まで諦めない気持ち、仲間を信じてベンチで支えるチームメイトの想いに感動と勇気をもらい込み上げてくるものがありました。

 私にも葬儀職に就いた頃から大切にしていることがあります。それは「ご家族様に時間を大切に過ごして頂く事」です。実際、ご用命を頂きご出棺までの限られた時間の中で多くの事を決める為駆け足で時間が過ぎてゆきます。「あっという間に葬儀が終わってしまった・・」とならないよう大切な方と向き合える時間、想いを伝える時間を過ごして頂きながら、お見送りの日を迎えて頂くことを願っています。葬儀は故人様との最後のお別れの時間というだけではなく、故人様を偲ぶ事が始まる時ではないかと考えています。故人様に想いを届ける事ができるよう葬儀を滞りなく終えることはもちろん、ご家族様のお心に寄り添える葬儀者でありたいと考えます。経験を積むと共に知識を深め自信を持ってご提案、ご相談をさせて頂き、ご家族皆様の想いが故人様へ届けられるようにこれからも精一杯お手伝いいたします。

文責:笠柄君予