「来年の柿は美味いぞ」――それが、定年後に果樹や野菜を育てるのが趣味となった父の口癖です。十年以上も前に庭の真ん中に植えられた柿は、父が一番心血を注いで育てているもので、今では沢山の大きな実をつける立派な木です。ただ一つ難点を挙げるなら、渋柿でこそないものの実はほのかに渋く、甘味が薄く、決して美味しくないという事です。

 スカスカで甘くない西瓜やメロン、酸っぱい葡萄など、父の失敗談は枚挙に暇がありませんが、小ぶりながら甘い実をたわわに実らせるビワの木だけは、稀に見る成功作でした。お店で買うと結構高いビワですが、我が家では毎年好きなだけ食べられたのです。ある日、父がチェーンソーでビワの木をぶった切るまでは。

 今までビワの木が立っていた所に受粉樹となる新たな柿の苗木を植えて、父は初めて冒頭の台詞を言い放ったのでした。その後、一家は大量の美味しくない柿を前に途方に暮れることとなりました。どうにかして美味しく食べようと、一家総出で干し柿を作ったり、柿を使った料理を色々と試しましたが、ちっともうまくいきません。

 これだけの苦労を経ても、未だに「来年の柿は美味いぞ」と言い続ける父。そんな姿を見て、結実という言葉には単に植物が実を結ぶだけではなく、努力が成果となって表れることをも指すのだと思い至りました。機械設計技術者として研鑽を積んできた父だからこそ、何事も一朝一夕で結実するものではないことを、よく理解しているのかもしれません。

 私自身は、製造業から転職し、早半年。畑違いの業界に未だ戸惑いながら、上司や先輩に教えてもらった仕事や様々な知識を身に着けるのに精いっぱいの毎日です。どんな仕事でも柿の木と同じで、ただ流されるままに日々を過ごしていれば自然に結実するというものではないのでしょう。最初からうまくいくとは限りませんが、少なくとも自ら考え経験したことは、少しずつ身に付いていくはずです。父のように失敗から学び、創意と工夫を繰り返すことで、いつの日か仏壇・仏具マスターとして結実すべく毎日を過ごしていきたいと思います。

 父の努力がいつ結実するのか、それはまだ誰にもわかりません。ただ、願わくば来年こそは美味しい柿が食べたいと思う今日この頃です。

文責:栗原里枝