昨年の秋、井口葬儀店営業部課長を仰せつかりました。最初はその重責に気がつかずに、のん気に構えておりました。入社して23年、段々と先輩方が引退され、後輩も増えてきたので、会社の温情でご高配を賜ったのだろうくらいに思っていました。たまに社内で表彰されても、「ほかの方が調子悪かったのね」とのたまう両親へも報告しませんでした。「あなたが課長なんて…大丈夫?」などと言われかねないからです。ただ、姪の遺影写真の前には、課長と記された名刺を供えて“君のおかげだね”と報告しました。

 ある日、その名刺を見つけた両親の「あなた課長にしていただいたの?凄いじゃない!なんで言わないのよ」「あんな立派な会社の課長にしていただいたんだ!大したもんだ、なぜ黙っていたんだね?」「そうよ、社長様にお礼を言わないといけないかしら…」と、あまりの手のひら返しの反応に面喰いました。そう言われてからは、朝礼や会議の席で、課長と呼ばれると妙に照れくさく、同僚たちとの普段の会話でも「カチョオ~」なんて呼ばれるとからかわれているのかと勘ぐる毎日でしたが、段々とその重責に気づき“初心忘るべからず”という言葉の通り、これからも頑張っていかねばと決意を新たにしました。

 しかし、ふと気になって“初心忘るべからず”ってなんだろう?と思い調べてみました。この言葉は、室町時代の能楽の大成者、世阿弥の言葉だとされているそうです。世阿弥は“是非の初心、時々の初心、老後の初心、その時々に初心がある”と言っています。是非とは、未熟だった時の芸も判断基準として芸を向上させていかねばならない。時々とは、その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟で拙さがある。そこを忘れてはいけない。そして老後とは、老年期になっても初めて行う芸があり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したということはない。限りない芸の向上を目指すべし。と説いています。

 これは、私たち一般の社会人や仕事にも通じる考え方なのではないでしょうか。新入社員の頃の自分、初めてご葬儀を担当させていただいた頃の自分、そして課長となった今の自分、それぞれの立場の自分は、初心者であってまだまだ拙いのだという自覚を常に持ち続けようと気づかされました。自分は今日という日の初心者なのだと謙虚な気持ちで、一生涯にわたり成長し続けることを改めて誓います。かの、課長 島耕作は、現在相談役だそうですが、さて課長 松ちゃんはどこまで成長できるでしょうか?日々頑張ります。
 社長はじめスタッフの皆さん、そして誰よりも街の皆様、ご指導ご鞭撻のほどを何とぞよろしくお願い致します。

文責:永松英樹