合掌とは、インド古来の礼法で、仏教徒が顔や胸の前で両手の掌(てのひら)や指を合わせて、仏(釈尊)さまや菩薩(悟りを求め、また衆生を救うために多くの修行を重ねる者)さまなどを拝むことを意味しました。当時のインドでは右手は清浄、左手は衆生を表していました。この右手と左手を合わせることで、仏と衆生が一つになって仏になるという意味があります。それが仏教を通じて日本に持ち込まれたと考えられているそうです。アジア諸国では挨拶の習慣として合掌する国もありますが、日本には、何気なく手を合わせる習慣があります。

 食前の「いただきます」と食後の「ごちそうさま」の合掌、亡き人に向けた合掌、誰かに「ありがとう」とお礼を伝えるときの合掌、誰かに「ごめん」と謝るときの合掌、誰かに「お願い!!」と頼み事をする時の合掌などは、日本独自の合掌のように感じられます。以前、高僧が法話で話された事がとても印象に残っています。「誰もが心を落ち着かせる為に、イライラした時には合掌をしていたら世の中に争いごとは無くなります。なぜならば、合掌をしていると拳を作る事ができないので喧嘩にならないからです。合掌は幸せへの第一歩なのです。合掌することにより心にも余裕が生まれるのです。」と説かれていました。

 仏さまや菩薩さまを拝む習慣に、神仏などの目には見えない力への畏敬の念が加わり、発展したものが日本独自の合掌ではないでしょうか?すべては当たり前ではなく、目には見えないはたらきかけにより、生かされていることでしょう。ここに「申し訳なさ」「感謝」「尊さ」の思いが湧き起こり、これらの思いが合掌となって体現されていると思います。私たちの日常生活の中で手を合わせる場面を想像してみると、どの場合でもこれらの思いがあてはまるのではないでしょうか。

 さて今年の9月、まだまだ子供だと思っていた私の娘にも赤ちゃんが生まれます。いよいよ祖父になる・・・娘は、子供に対して「おじいちゃんだよ!」と教えるのか?それとも、“グランパ?” “爺?” “じーじ?”・・・私はなんと呼ばれるようになるのでしょう?そんなことを想像するのが楽しみの一つです(笑)『あと1ヶ月!』 日々生きている、生かされていることに感謝しながら、母子ともに元気に出産が終わることを今は祈るばかりです。合掌・・・

文責:佐々木俊巳