昨年六月三日に他界した母の葬儀も無事に終わり事後手続きや七七日忌法要の準備を整えている最中、父が七月十四日に他界しました。母の七七日忌法要に出ることなく旅立った父はさぞかし悔しかっただろうと思います。

 頭の中では、親はいつか必ず亡くなることは理解していたつもりです。しかし両親が続けてこの世から存在しなくなったことに、当時は怒りと不当感が込み上げ「なぜ俺だけがこんな目に」と・・・むごい仕打ちを受けたという感情が沸き上がっていた気がします。もしかするとあの頃は、自分では平静を保っているつもりでも、周囲の人々にやり場のない感情をぶつけていたのかもしれません。

 両親の七七日忌法要を併修し納骨は一周忌まで行わないことを兄と決めて北海道から帰宅しました。仕事に復帰してからは、「自分は普段通りの仕事ができているのか?」「落ち込んだ姿を皆なに見せると気を使わせてしまう」など・・・色んなことを考え、普段なら三十分もあれば終わる事務仕事も倍の時間が掛かりました。「何か抜けていないか?」「間違いがないか?」と確認作業を繰り返しながらの日々が二、三ヶ月続きましたが、仕事をしていると少しだけ気持ちが紛れました。ご遺族様との会話の中で両親との思い出がフラッシュバックすることもありましたが、悲しみの中にあるご遺族様と「死」について共感し、葬儀のことを互いに話しあえたことは自身の悲嘆の回復を早めることにも繋がったのかもしれません。今では毎日、写真の中の両親に「いってきます」「ただいま」と心の中で穏やかに会話をしています。

 どことなく心落ち着かない一年ではありましたが、一周忌法要と納骨も無事に終えた今は、やっと心に余裕が生まれたように感じます。弊社のホームページにも掲載しているアルフォンス・デーゲン先生の『12段階の悲嘆のプロセス』にあるように、人により違いはあるにせよ、苦悩に満ちた悲嘆のプロセス(悲しみ嘆く心の回復過程)を経て、より成熟した人間に生まれ変わることができたのかもしれません・・・きっと
 しかし間違いなく言えることは「いつか必ず元気になる日が来る」ということです。皆様も悩み苦しい時は、同じ境遇に置かれた人とのコミュニケーションが自身の「悲嘆の回復」に繋がることと思います。

文責:佐々木 俊已